浄土真宗本願寺派 瀧上山 善立寺

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住職の法話

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他力の『磁石(じしゃく)のたとえ』

二〇一七年の流行語大賞に、「忖度(そんたく)」が選ばれました。他人の心をおしはかるという意味の「忖度」、もしかして、仏教語ではないかと思い調べてみましたが、中国の孟子(もうし)が使われた事に始まる言葉でした。日本語の熟語は、仏教語である事がよくありますが、忖度は違いました。

代表的な仏教語に、「他力」とか「他力本願」というのがあります。これは、「忖度」以上に知られ、使われている言葉です。特に浄土真宗では、ご法義の要となる言葉です。ただ、残念な事に、意味が間違えて使われている事が多くあります。

「他力」のはたらきについて、親鸞聖人は、『磁石のごとし』と譬(たと)えられています。これは、磁石が鉄を吸い付けるように、私たちは阿弥陀如来に吸い寄せられるという意味で、それについての例話を一つ紹介させて頂きます。

「阿弥陀如来が磁石で、その磁石に引き寄せられる鉄が私たちです。ひとくちに鉄といってもいろいろあります。ぴかぴかに磨(みが)かれた鉄もあれば、錆(さ)びた鉄もあります。(中略)まっすぐな釘(くぎ)もあれば、折れ曲がった釘もあります。しかし、どんなにすぐれた釘であっても、みずからの力では動くことも、中身が変化することもありません。(中略)

ところが、その動かないはずの釘が動くことがあります。それは磁石が近づいてきて、釘がその磁場(じば)に入った時です。その釘がどこに向かって動くかというと磁石に向かってです。このように磁場に入った釘が動くのは、じつは釘がただの釘ではなく、中身が磁石に変わっているからです。(中略)

阿弥陀如来の本願他力は、まさにこの磁石が釘を引き寄せて、中身を磁石に変えるように、凡夫(ぼんぶ)が凡夫のままで、必ずさとりを開く身とさせるのです。」(浄土真宗のみ教え『布教読本』)

このように、他力という本来の意味は、他の力をあてにする事や、他人任せにする事ではありません。磁石のごとくはたらいて、阿弥陀如来が私たち凡夫(下記※)を救いの中に吸い寄せて、浄土を願う生き方へと転換し、浄土に生まれさせて仏と成(な)さしめるはたらきであるから、他力と言います。それは、自らの力では出来ない他の力(阿弥陀如来の本願力)であるからです。

仏さまのはたらきというのは、目には見えないけれど、仏法を聴聞(ちょうもん)させて頂く中で、阿弥陀如来の智慧(ちえ)と慈悲(じひ)が、確かに届いていると実感出来るのです。凡夫の私は、私のままですが、常に寄り添い、包み込み、支えてくださっています。その大いなるはたらきに気づかせて頂くと、私にとって都合の良い事も悪い事も、全てがご縁と頂いていけるのです。私自身、もし、阿弥陀如来の本願に出遇(であ)う事がなかったならば、欲と怒りと愚痴(ぐち)の三毒(さんどく)に酔い潰(つぶ)れていたかもしれないと思うのであります。親鸞聖人のお蔭です。聖人のご恩を大切にさせて頂きたいと思います。

※ 凡夫というは、無明煩悩(むみょうぼんのう)われらがみにみちみちて、欲もおおく、いかり、はらだち、そねみ、ねたむこころおおく、ひまなくして臨終(りんじゅう)の一念(いちねん)にいたるまでとどまらず、きえず、たえず

これは親鸞聖人自身のお言葉です。所詮、凡夫だから仕方ないという意味ではなく、聖人は、自身が凡夫である事を恥(は)ずべし、傷(いた)むべしと語られています。

凡夫である悲しみを知る時、如来の大悲はたのもしく、私を救わんが為の他力本願であったと気づかされます。

(住職 松岡文昭)