浄土真宗本願寺派 瀧上山 善立寺

浄土真宗本願寺派 瀧上山 善立寺
〒657-0843 兵庫県神戸市
灘区大石北町3番33号
善立寺の電話番号078-861-5396 078-861-5396
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善立寺の歴史

見出し画像 「善立寺の歴史」

    本堂の夜景

    御本尊(阿弥陀如来)

    阿弥陀如来像

  • 善立寺の歴史イメージ画像01
  • 善立寺の歴史イメージ画像02

開基年歴は不詳であるが、当寺はもと真言宗の寺院であったと伝えられている。その後、本願寺第8代蓮如上人の頃、念仏の教えに深く帰依し、石山合戦(1570年)の頃には既に本願寺へ属している。

その後、江戸時代後期におこった大石村の大火により、当寺をさかのぼる重要書類の多くを焼失しているが、元和(げんな)4年(1618年)、当寺の住職、釋祐善(しゃくゆうぜん)が本堂を再建したという記録が残っていることから、祐善を中興開基(ちゅうこうかいき)としている。

それから130年後、延享4年~宝暦6年にかけて、庄屋松屋の莫大な資金により、10年の歳月をかけて、再建された伽藍(本堂、山門、鐘楼堂、客殿、庫裏)は、第二次世界大戦の爆撃を受けて焼失する。その後、都市計画により境内地を縮小し、地方まれにみる雅麗荘厳なる伽藍と言われた当寺の面影を見ることはできないが、御本尊である阿弥陀如来像は、古くからあるものが今も御内陣にご安置されている。

現在の本堂は昭和48年に再建され、平成24年の親鸞聖人750回大遠忌法要にあわせて記念事業が行われ、お陰様で門信徒皆様のお力添えを頂き、本堂内部の施設が立派に修復されました。また、平成30年末には、新たに鉄筋コンクリート造のモダンな納骨堂が境内に完成いたしました。

善立寺の宝物

親鸞聖人

安政4年 本願寺廣如上人より授与
本願寺 親鸞聖人真向きの御真影

蓮如上人

嘉永元年 本願寺廣如上人より授与
本願寺 蓮如畫像

住職紹介

見出し画像 「住職紹介」

ご挨拶


第十四代住職 松岡 文昭

第十四代住職 釋文昭

嬉しいとき、悲しいとき、楽しいとき、辛いとき、いつでもどこでもあなたを包んでくださっている仏さまがいます。その仏さまこそ浄土真宗の御本尊である阿弥陀如来さまです。阿弥陀如来さまの本願は、念仏ひとつで無条件にすべての人を救いたいとはたらき続けてくださっています。

核家族化が進んでいる現代、特に都市部ではお仏壇を迎えるのは、大切な人を失った時なのかもしれません。そこからお仏壇のある生活がスタートすることが多いようです。大切な人を失った時、私達は手を合わさずにはおれないのです。それはとても大切な事です。なぜならば亡き方の面影や言葉、ぬくもりや優しさが私達にはたらいてくださっているからです。仏さまとは、願いとはたらきをもっておられるお方です。

人それぞれにさまざまな仏縁がありますが、阿弥陀如来さまのお心、お念仏の教えに出あえた時、悲しみの中にも仏さまのあたたかい世界を感じていただくことができます。そして、我が身を照らし出し、まことの道へと導いてくださいます。

また仏教とは、すべての人が仏となる教え。そして互いに敬い助けあう教え。阿弥陀如来の智慧と慈悲に照らされて心豊かに人生を歩んでいくことのできる教えであります。共々に手が合わさる人生を歩ませていただきましょう。

善立寺は神戸市灘区のこの地で500年以上の伝統を受け継ぐお寺でありますが、時代に即した取り組みを常に考えながら護持発展してきました。

先代住職は神戸ではいち早く堂内に納骨堂を設置しました。そして、隣接地には墓所もあり毎日たくさんの方がお参りに来られるお寺です。

また、昭和45年には境内地に社会福祉法人  大石保育園を開園しております。以来、多くの子ども達がこの地で仏さまのご縁に出遇い、今では親子二代さらに三代へとつながっています。

これからも皆様にとって必要とされる寺であり続けたいと思います。どうぞ、お気軽にお参りください。

略歴


  • 1974年 福岡県、真宗大谷派の寺で生まれる
    1997年 京都、大谷大学真宗学科卒業
    1997年 真宗大谷派佐世保別院に勤務
    2004年 善立寺後継住職として入寺
    2012年 親鸞聖人七五〇回大遠忌法要にあわせて、
      善立寺第十四代住職に就任
      大石保育園事務長に就任
    2017年 社会福祉主事認定資格を取得
      おおいしこども園副園長に就任
    2020年 おおいしこども園園長に就任
  • 第十四代住職 松岡 文昭の画像

    松岡 文昭

住職の法話

見出し画像 「住職の法話」

過去の法話

第十四代住職 松岡 文昭の法話風景画像

蜘蛛(くも)の糸

 先日、朝早くこども園に行くと、玄関先から園内の廊下の先まで大量の蟻が長蛇の列を作り、うごめいているのを発見しました。幸い園児はまだ一人しか登園しておらず、職員も早番の一人しかいません。初めての状況に慌てて殺虫剤を掛けてまわっていましたら、次の職員が出勤してきたので、一緒に死骸を拭き取り事なきを得ましたが、次々と動かなくなる蟻を見て、致し方ないと思いつつ、以前読んだ本願寺派の保育雑誌の話が蘇(よみがえ)ってきました。それは、芥川龍之介の小説、「蜘蛛の糸」を短くまとめたものでした。

 『死んで地獄に落ちた大泥棒カンダタ。極楽から見ていたお釈迦様は、かつてのクモの命を助けた彼の善行を思い出し、地獄から救い出してやろうと、クモの糸を垂らしました。糸にすがって登るカンダタ。ふと下を見ると、次々に登ってくる人々が。糸の切れることを恐れたカンダタは彼らに向かって、「糸は自分だけのものだから下りろ」と叫んだ。途端に糸は切れ、彼は再び地獄へ落ちてしまった。』という内容です。

 児童文学作品ですが、大人になって読むと、カンダタとは自分ではないかと考えさせられます。一匹の蟻も助けることのできない私は、蟻地獄へと引き込まれていくかもしれません。しかし考えてみれば、お釈迦様は本当にカンダタを見捨てたのだろうか。お釈迦様の教えとは、地獄にしか行きようのない私を目覚めさせ、浄土を願う人となる教えではなかったのか。さらには、お釈迦様がお説きになられた阿弥陀さまは、誰一人として見捨てることのない、摂取不捨(せっしゆふしや)の仏さまであると聞かせていただいているが、カンダタも極楽へと生まれていくという、蜘蛛の糸の話には続きがあるのではないかと思えるのです。

 歎異抄(たんにしよう)の第二条に、親鸞におきては、「いずれの行もおよびがたき身なれば、とても地獄は一定すみかぞかし」とあります。「親鸞においては、地獄は一定の住家」だと言われました。しかし、阿弥陀如来のお心に出遇われた親鸞さまは、地獄にしか行きようのない私でありながら、すでに阿弥陀さまとご一緒であったと喜ばれていたのではないかと思います。そうしますと、蜘蛛の糸には、カンダタが極楽に生まれていくという続きがあるように思えるのです。機会がありましたら、蜘蛛の糸を読み直してみるのも面白いかと思います。

(住職 松岡文昭)