浄土真宗本願寺派 瀧上山 善立寺

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住職の法話

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喧嘩(けんか)は正義(せいぎ)と正義(せいぎ)の戦い

 親鸞聖人(しんらんしょうにん)にお念仏の教えを直接伝えられた方は法然聖人(ほうねんしょうにん)です。その法然聖人のお言葉の一つが、「愚者(ぐしゃ)になりて往生(おうじょう)す」です。つまり、「おろか者になって救われる」という、とても深みのある言葉です。

 教育や道徳においては、おろか者になることは教えません。むしろ、立派な人間になるように教えます。仏教の教えは時として、逆説的に説かれています。そこに大切な教えがあるのです。愚者の反対は賢者(けんじゃ)です。言うならば善人です。善人とは一体どのような者なのかと言うと、自分が正しいと信じ、悪を許さず、正義感に満ちている人のことです。そこに私達凡夫(ぼんぷ)の盲点があります。

 私の恩師は、「喧嘩は正義と正義の戦い」と言われました。善と善がぶつかり合うのです。一方が間違いを認めて謝れば喧嘩になりません。互いに自分が正しいと信じているから喧嘩が生じます。夫婦喧嘩なども同じです。自分の間違いを認めながら喧嘩は成り立ちません。

 今、世界中でテロの脅威がはびこっています。今年に入ってからも、ニュージーランドやスリランカで多くの犠牲者が出ました。聖戦という恐ろしさを覚えます。戦争は正義の上で行われます。正義であると信じているから、人を殺すことも躊躇わないようなことが出来てしまうのです。凡夫が考える善とか正義は、とても危ういものです。

 仏教の書物には、「罪悪生死(ざいあくしょうじ)の凡夫」、「煩悩具足(ぼんのうぐそく)の凡夫」という言葉が出てきます。誰のことを指しているのかと言えば、私のことです。凡夫とは、煩悩によって本当に正しいことが分からない、真実が見えない者のことです。自分では気づかないうちに他を傷つけ、罪を作り続け、多くのいのちを犠牲にしてしか生きていけない私です。

 「愚者になりて往生す」。それは、凡夫が賢者になって救われるのではありません。凡夫である悲しみを知る時、他に寄り添うことの出来る人間になっていけるのです。学校教育の中でも、凡夫であることを教えて貰えたら良いのになあと思います。

(住職 松岡文昭)