浄土真宗本願寺派 瀧上山 善立寺

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住職の法話

見出し画像 「住職の法話」
第十四代住職 松岡 文昭の法話風景画像

『正月は「めでたくもありめでたくもなし」』

 門松は冥土の旅の一里塚(いちりづか)「めでたくもあり、めでたくもなし」

 これは一休和尚の狂歌(きょうか)として知られています。漫画の一休さんは、いたずら好きで、とんちの利く利発な小坊主です。実際に室町時代を生きた臨済宗の僧でありますが、実像は漫画で親しまれている一休さんとは、かなり隔たっており、反骨精神が鋭いお方だったそうです。

 早くも平成二十九年の新年を迎えました。年末の慌ただしさから、ようやく年を越せたと思うのもつかの間、すぐに正月も終わり、春彼岸、お盆、秋彼岸、忘年会、大晦日というように、過ぎ去っていきます。

 『一休はなし』によれば、世間では、正月に門松を立て、屠蘇(とそ)を飲み、しめ縄を張り、鏡餅をそえて、それぞれに祝い、元日の朝が昨日と違うわけもないのに、大晦日が明ければ打って変わって気が緩み、また大晦日が巡ってくることなど念頭になく千代万世を祝う。

 そして、いつ死ぬとも思わず不吉を忌み恐れ、つかの間の人生に名利をむさぼり、命の終わりが迫るのも知らずに子孫を溺愛(できあい)し、蟻(あり)が茶臼(ちゃうす)を巡るがごとく、毎年、同じように正月を祝って、飽きることを知らないと言うのであります。

 このような世間の様子を不思議に思った一休和尚は、元旦に墓場へ行って髑髏(しゃれこうべ)(骸骨(がいこつ))を拾ってきて、それを竹の先に付け、京都の家々を回り、「『ご用心ご用心』これを見なさい。目が出てしまって穴だけ残っている骸骨を『目出たい』というのだ、人は知らぬうちに昨日を無事に過ごした気持ちの馴れにまかせて今日を過ごしている、骸骨にならない限り、めでたいことなどない」と言いながら歩いたそうであります。

 なんとも皮肉を込めた言い方ですが、仏教の神髄とも言うべき味わいがあります。一年が始まる元旦だからこそ、用心しなければならないことがある。毎年、「今年こそは」と思う私達に、「今のままの繰り返しの中で、骸骨になっても悔いは無いですか」、そんな問いかけなのでしょう。 

 一休和尚と同じ時代を生き、親交があった本願寺の八代目、蓮如上人(れんにょしょうにん)、一休和尚との対談話も残っておりますが、負けず劣らず、名言も沢山残された方です。その蓮如上人は、「仏法には、明日と申す事、あるまじく候う。仏法の事は、いそげ、いそげ」と仰せになり、また、一つ年を重ねるにあたり、念仏を勧められました。一休和尚と言葉は違いますが、仏法に出遇(であ)ってほしいとの願いは同じではないでしょうか。

 私自身、昨年一年を振り返ってみれば、寺と園の仕事に追われ、心に余裕が無い生活になっていました。仏法聴聞どころか、眼前のことしか見えなくなってきていることを痛感しています。今年こそは、きっちり休みを取って、メリハリのある一年にしてみようと思います。パソコンも電池も時々リフレッシュしないと、性能を発揮できないそうです。私の性能が上がるかどうかは分かりませんが・・・。

 皆様方におかれましても、日々、何かとお忙しいことと思いますが、心のリフレッシュ(仏法聴聞)を心がけ、煩悩に迷える私達を救う、確かな教えに出遇う、そんな、「めでたい年」となりますように。 合掌

(住職 松岡文昭)