浄土真宗本願寺派 瀧上山 善立寺

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住職の法話

見出し画像 「住職の法話」
第十四代住職 松岡 文昭の法話風景画像

『弁慶の立ち往生(べんけいのたちおうじょう)』

「往生しまっせ~」は、こだま・ひびきさんの持ちネタです。往生というのは仏教語ですが、一般的にもよく使われます。例えば、困った時に「往生した」とか、「列車が雪で立ち往生した」などと言います。

しかし、仏教で説かれる往生は、浄土に往き生まれるという意味です。親鸞聖人は往生について、お念仏の信心をいただいて、阿弥陀如来をよりどころに生きることを「即得往生(そくとくおうじよう)」と言い、この世のいのちが終わることによって浄土へ生まれることを「難思議往生(なんじぎおうじよう)」と言われました。

では何故、「往生」と言う言葉が、本来とは違う意味で日常的に使われるようになったのか謎でした。 今年の三月に岩手県の平泉、中尊寺金色堂へ行く機会がありました。中尊寺のガイドさんの話によれば、このすぐ下に流れる衣川の戦いで、弁慶が矢に打たれて立ったまま亡くなったことから、「弁慶の立ち往生」と言い伝えられているという話を聞きました。 浄土教では、この世の縁が尽きたとき、浄土に生まれるということから、死はすなわち往生であると説かれます。つまり、立ったまま亡くなったという伝説から、立ち往生という言葉が使われるようになったと考えられます。

あの強靱な弁慶が主君を護るため、無数の矢に打たれ立ったまま亡くなったということですが、おそらく、兵に四方を囲まれ、身動きが取れない状況になったのではないかと思います。前にも後にも動けない、そのようなことから、身動きが取れない状況を「立ち往生」と言い、困った時には「往生した」と言われるようになったのでしょう。

しかし、本来の往生は、決して困った時や、身動きが取れないというような意味ではありません。むしろ、お念仏の教えに出遇い、人と生まれた喜びのある人生を歩み、この世のいのちが尽きたとき、阿弥陀仏の本願力(ほんがんりき)によって、浄土に生まれさせていただくのであります。

(住職 松岡文昭)