開基年歴は不詳であるが、当寺はもと真言宗の寺院であったと伝えられている。その後、本願寺第8代蓮如上人の頃、念仏の教えに深く帰依し、石山合戦(1570年)の頃には既に本願寺へ属している。
その後、江戸時代後期におこった大石村の大火により、当寺をさかのぼる重要書類の多くを焼失しているが、元和(げんな)4年(1618年)、当寺の住職、釋祐善(しゃくゆうぜん)が本堂を再建したという記録が残っていることから、祐善を中興開基(ちゅうこうかいき)としている。
それから130年後、延享4年~宝暦6年にかけて、庄屋松屋の莫大な資金により、10年の歳月をかけて、再建された伽藍(本堂、山門、鐘楼堂、客殿、庫裏)は、第二次世界大戦の爆撃を受けて焼失する。その後、都市計画により境内地を縮小し、地方まれにみる雅麗荘厳なる伽藍と言われた当寺の面影を見ることはできないが、御本尊である阿弥陀如来像は、古くからあるものが今も御内陣にご安置されている。
現在の本堂は昭和48年に再建され、平成24年の親鸞聖人750回大遠忌法要にあわせて記念事業が行われ、お陰様で門信徒皆様のお力添えを頂き、本堂内部の施設が立派に修復されました。
また、平成30年末には、新たにKC造のモダンな納骨堂が境内に完成いたします。